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八字考察ー太宰治さん
今晩は。
佑木 美月です。
戌月霜降もすぎて大分寒くなってきましたね。
今日は起業家・著名人の八字考察をテーマに、
「太宰治」さんの八字をみていきたいと思います。
1909年6月19日 16:44 青森県
真正生時 17:06頃
己酉
庚午
庚戌
乙酉
格:仮の官殺格
喜神:湿土、金
忌神:木、火、燥土
閑神:水
用神:時支酉
調候:壬水要
八字は午月で火の五行が質的にも、もっとも強くなる季節です。戌の燥土は火によりますます燥となって金を逆に脆くしています。
この八字の良いところは月支午が斜めの己土へやや洩らし、己土は金をやや強めているところです。
月干庚は午火に座し脆くなっていますが、年支酉に根を持ち日干の力にはなっています。年支酉は日干の根としては力になりがたいですが、時支酉に日干は根を持ちます。
死令の生れの八字ですが、日干はやや弱程度の力量となります。
先天的八字の位相は悪くないですから、もっている能力は人並み以上にあると推せます。
また庚戌はいわゆる「魁ごう」と言われる干支の組み合わせになりますが、巷で言われているような特別な意味はありません。ただ、激しい干支の組み合わせですから、日干支にあって他にもきつい干支が重なると、吉凶の差が激しくでやすくなるという特徴があります。
あとは、思ったことにが~っと突き進むバイタリティがありますが、悪く出ると自分の性情をコントロールしがたいとなります。
そのような激しいエネルギーをよく活かすためには、没頭できる仕事や趣味でも良いのでのめりこめるものをもつと良いでしょう!
大運
約4才3ヶ月立運
4才~己巳
己土は良いのですが、巳火に座し燥の気強く生金力は弱まります。
午巳団結し、火の気は強力です。忌神運。
八字で官殺(火)は強く、この大運でさらに強力になりますので、精神的圧迫を抱えやすい性質がこの運で作られていったと推測できます。遺伝もありますが、もとの八字の位相は悪くなくこの大運でも勉強はよくできて、秀才と言われていたようです。
ただ、忌神運なのでその他の環境に忌象がでています。
母(土)は病弱で、父(木)はこの大運の終わり頃で肺がんで亡くなっています。
14才~戊辰
14才~19才(土旺)
20才~23才(木旺)
天干の戊土は不要ですが、辰湿土が19才頃までは強く巡り火を納め生金。喜の傾向です。
20才以降は辰中の木の気が強まり生火もし運は下降します。
中学校時代も成績優秀。この頃からさまざまな小説を愛読、小説家を志すようになる。友人と同人誌を発行する。
1929年20才の時に懸賞小説に応募するが落選し、自殺をはかる。
高校卒業後は東大の仏文科に入るが講義についていけず、美術科への転科を検討。
小説家の井伏鱒二に弟子入りする。
芸者との結婚に実家から反対を受け、分家除籍。その10日後にまた別の女性の田部シメ子とまた自殺をはかる。
シメ子は死亡し本人だけ生き残るという結果に終わる。
24才~丁卯
卯酉酉剋戦し、日干の根は弱化。残った卯木は生火へ向かいます。丁火は根を持ち強いです。財官殺の忌神運。
陽日干、陽的中庸命ですから弱きを畏れます。特に魁ごう日ですから忌象は強くでやすいです。
1935年、新聞社の入社試験を受けるが不合格。3月にまた自殺をはかる。4月に腹膜炎の手術を受ける。入院中にパビナールの注射を受け以後中毒に。大学は学費未納で除籍に。
「逆行」が芥川賞候補にあがるも落選。「道化の華」が佐藤春夫に高く評価されて師事。1936年よりパビナール中毒が進行し入院。「晩年」を執筆するが、芥川賞の候補にもあがらず。
パビナール中毒はますます悪化し、再度強制入院させられる。1937年に小館善四郎と初代との不貞行為が発覚したのをきっかけに初代と自殺をはかるが未遂に終わり、その後離婚。
1939年に再婚してから、少し精神的に安定し「走れメロス」などの優れた短編を発表。
34才~丙寅
ここですが、さらに木の気は強くなり天干には強力な丙火が巡ります。寅木は火をさらに強めます。前運よりさらに運はダウンします。木火が悪く働くのでメンタル面の問題には要注意です。財官殺の忌神運。
1947年に「斜陽」が出版されベストセラーに。ただ体調は最悪で大量の喀血を起こしていた。1948年「人間失格」などを書き上げる。
1948年6月13日に愛人の山崎富栄と玉川上水で入水自殺。二人の遺体は太宰の誕生日に発見された。
亡くなった1948年は戊子年。子は午火とも剋戦しますが圧倒的に火の方が強く、火は燥土の戊土をますます燥にします。戊は戌に根を持ち強力で日干庚は土に埋もれ埋金ぎみに。
ざっと事象を追ってみました。大運を見るとメンタルに関わる木火の働きが悪いですから、精神的葛藤を抱えやすくなるというのは手に取るようにわかります。才能はものすごくある方なのですから、メンタルのコントロールを上手にして、もっと長く生きてもっともっと多くの作品を残してほしかったと個人的には思います。